11 独り立ち
皆さん、おはようございます。
久し振りのブログになってしまいましたが、私はしぶとく生きています(大事なこと)。
前回のブログでは、二回にわたって友達とのつきあい方について述べました。
その中で、うつ状態の私が大学時代病院に通わず、大学の保険センターを利用していた旨を書きました。
今回はちょっとその辺について触れようと思います。
私が初めてこころの不調に気づいたのは、20歳のときでした。
自慢でもなんでもないんですが、学生時代の私は頑張りすぎるほどの頑張り屋さんで、
成績もだいたい上の方にいました。
時々風邪で休むことはありつつも、大学一年までは難なく通学していた感じでした。
ある日、転機を迎えることになります。
高校のときから4年ほど付き合っていた彼氏に振られたのです。
当時はLINEはなく、メールでやり取りをしていました。唐突に、長文のメールが届き、謝罪と別れの言葉が連なっていました。
初めてできた彼氏で4年も続いていたので、相当依存していました。彼との別れは私にとってかなりのショックで、夜は眠れず、眠れても自分の奇声で目覚める日々が続きました。
それとともに、段々と大学の授業に行けなくなってきたのです。
失恋が原因だなんてみっともなくて、周りには誰にも言えませんでした。
単位を落としまくる私。
当時のバイトも無断で休むことがありました。
さすがにおかしいと思って、心療内科に足を踏み入れることに。
これが間違いだったのでした。
よくよく考えると、10年も前の話なんですね。
どこの病院に行ったのか、なんてお医者さんに言われたのかも覚えていません。ただ、うつ病とか、はっきりした病名は言われませんでした。うつ状態ではあったと思います。薬を処方されました。
当時の私としては、もともとうつになんかなるわけがない、うつなんて心の弱い、ちょっとおかしい人がなる病気だなんて偏見オブザ偏見を抱いていたので、心療内科に行くことさえ難関を越えた感じがあったのです。
これから通うことになるのかなー、なんて呑気に考えていた私。
ある日、母親に呼ばれます。
「あんた、心療内科なんて行ってきたの?!」
なんで知っとんねん?!?!
と心の中でムンクの叫び状態でした。当時、大学は実家から通っていた私。母の部屋に呼ばれ、何かと思えばそんなことを言ってきたのです。
なぜばれたのか?
医療費の通知、でググってみてください。誰かの扶養に入っている者は、保険証を使ってどこの病院に行ったか、分かるようになっているのです。
そこには私が心療内科を受診した証拠がありありと残ったわけです。
親の扶養に入っているこっそりうつ病さん、気をつけて本当。
まあ母親もうつ病なんてみっともない派なわけで、私が心療内科を受診したことをひどく怒りました。
そんなこんなで、病院には行けなくなり、途方にくれた私は大学の保険センターの扉を叩いたのでした。
保険センターでは、無料でじっくりとカウンセリングを受けさせてもらえたり、お茶を頂いてほっとしたりすることができました。カウンセリングでは馬鹿ほど泣いてしまい、担当の方も大変だったと思います。体調が追い付かず、カウンセリングに行けない日もありましたが、本当によくして頂いたと感謝しています。
大学を出て親の扶養を外れてからは、堂々と病院へ行くことができました。笑
独り立ちするって素晴らしい!って何度思ったことか。
ただ、先生との相性はありますね。今は転勤先の近くの心療内科に通っています。患者さんが多く、診察は1分ほどで終わることもあります。通院して二年は経つので、きっと私には合っているのでしょう(?)
現在も休職中ですが、月2~4回は通勤しています。
お昼にかかるときはお弁当も手作りしています(金がない)。
というわけで、私が大学時代病院に行けなかった経緯を紹介しました。
扶養に入ってるみなさん、気をつけてね!!!